「忠臣蔵」で有名な大石良雄は、
討入り前の一年有余、
山科の地に住居を構えていた。
山科には、赤穂義士にまつわる
数々の史蹟が今日に伝わってる。
隠棲の地と伝えられる岩屋寺
赤穂城明け渡しの後、
内蔵助は山科の地に家を新築し、
ひそかに討入りの謀を
めぐらしたといわれていますが
討入りを果たした後、邸宅、
田畑など一切の財産を
岩屋寺(通称大石寺とも呼ばれている)
に寄進した。
本堂に浅野長矩の位牌や
四十七士の像が祀られているほか、
収納庫に赤穂義士にちなんだ
数々の遺物・遺品が保存。
大石弁財天という
内蔵助を祀っている。
大石神社
大石神社は内蔵助をはじめとする
四十七士の義挙を顕彰するため、
昭和10年、京都府知事を会長とする
大石神社建設会、山科義士会、
浪曲界の重鎮であった
吉田大和之丞らによって
建立された神社。
中には宝物殿があり、
まつわる品が寄贈されている。
自由に見ることが可能だ。
山科には瑞 光 院(ずいこういん)
花山稲荷神社、腰 掛 石
極 楽 寺など多くの史跡がある。
鎖帷子や硯箱など、
義士の遺品も多く残っているので
是非、立ち寄ってみてほしい。